白紙

**豊臣秀吉**
安土桃山時代に織田信長のあとをついで天下を統一
1536年に尾張国中村の農家に生まれ行商等を行い,織田信長に仕えて,独自の才気と行動力で出世の階段を上っていった
1561年に浅野長勝の養女ねねを娶り木下藤吉郎と名乗り,次いで長浜城主となり羽柴秀吉を名乗る
備中高松城を水責めにしている時,本能寺の変が起きたが,いち早く毛利氏と和睦を結び軍を返して山崎の合戦で明智光秀を討った。翌年には柴田勝家を賤ヶ岳の戦いでやぶり信長の後継の地位を得た
その後,1583年大坂城を築き関白・太政大臣に任ぜられて豊臣姓を賜り,四国,九州を平定し北条氏を滅ぼし,さらに奥州を平定して天下統一を成し遂げた
関所の廃止や楽市・楽座の制度,太閤検地,刀狩,兵農分離,朱印船貿易にも力を注いだ
1592年と1597年に朝鮮出兵をするが失敗に終わり,豊臣政権滅亡の原因になった
晩年は,幼い秀頼の将来と豊臣の行く末を案じながら伏見城にて没した

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