**東条英機**
1884〜1948の軍人で,陸軍大将から総理大臣になり太平洋戦争の責任者として極東国際軍事裁判でA級戦犯として絞首刑を宣告され刑死
陸軍中尉東条英教の子として誕生
陸軍大学校,関東軍参謀長などを歴任し,1940年の近衛内閣に陸軍大臣として入閣,日米交渉で陸軍の強硬論を背景に近衛首相と対立して内閣総辞職の原因を作った
近衛内閣退陣後に東条内閣を組織し,対米英開戦の検討をしたが,1941年に対米英に開戦,しかし,戦局の悪化により内閣の退陣に追い込まれた
敗戦後自殺をはかったが未遂に終わり極東国際軍事裁判で絞首刑を宣告され刑死