白紙

**福島正則**
1561年に尾張の桶屋の息子として生まれ、幼名を市松といった
豊臣秀吉の血縁者であった縁を頼って秀吉に仕える、1583年の柴田勝家との賤ケ岳の戦いでは七本槍の筆頭にあげられ、数々の戦功をたて清洲城主になる
豊臣秀吉の死後、石田三成らの文治派勢力と敵対し徳川家康の勢力下に入り、関が原の戦いで活躍し安芸広島城主となる
その後、幕府の発令した武家諸法度反対や広島城を無許可で修築をした咎により、2代将軍秀忠より信州川中島に蟄居させられ生涯を閉じた
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