**細川忠興**
細川藤孝(本能寺の変で,光秀から味方として誘われるがこれを断り家督を忠興に譲った)の長男として誕生
織田信長に仕えて戦功を表し,信長から感状を賜り,明智光秀の娘の玉(ガラシヤ夫人)を妻とした
豊臣秀吉に従い朝鮮征伐にも出動
1600年の関ヶ原戦後は徳川家康の東軍に味方し,戦いの功で中津城に入城,弟興元が小倉城に入る
1602年に中津城から小倉城に移り,唐造りの天守を作る
細川氏の熊本転封に伴い,小笠原忠真が1632年に入国
1621年に三斎宗立と号した
和歌,連歌,狂歌,画技,有識故実やその他広くの芸道に通じた
特に茶の湯は父の幽斎,利休に学び,利休流の奥義を究めた