**藤原氏**
藤原鎌足は大化の改新を推し進める第38代天智天皇の側近として活躍し,最高の官位と「藤原」の姓を賜った,藤原氏の祖
藤原鎌足の2男,不比等は,第42代文武天皇の側近として大宝律令の完成に尽力し,右大臣になる
藤原不比等のときに南家,北家,式家,京家の4家に分かれた
藤原北家初代は不比等の子である摂政関白藤原良房に始まり,第11代摂政関白藤原道長の時代が藤原氏の最盛期である
藤原北家は,天皇一族の後宮に入り皇子を産み,その皇子が天皇となり,天皇の外戚として代々摂政関白を独占した
平安時代は,藤原を称するが鎌倉時代以降は,近衛家,九条家,一条家,三条家,鷹司家を名った
平安時代後期になると藤原氏と姻戚関係を持たない上皇による院政がはじまり,さらに源平両氏の武家政権に移行するにつれ藤原氏の権勢は公家社会においては一定の影響力を持ち続けるが、政治の中枢とは隔絶し明治に至る